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川の流れのように Lana'i島でのお話
川の流れのように Lana'i島 No.1
『川の流れのように』 誰もが知っている ![]() 感謝と日本人として誇りを持って歌おうと決心した出来事があった。。。 毎年9月頃からハワイで行われているアロハフェスティバルは、少しずつ時期をずらして各島で行われています。 2005年マウイ島のファルセットコンテストで優勝した後、 ラナイ島で行われたアロハフェスティバルのホオラウレアに、 マウイ島でコンテストを共にした仲間達と、そしてRichard Ho`opi`iさん(リチャード氏)と参加させていただきました。 ラナイ島。2005年9月、初めて訪れました。 岡田央と私はホノルルから ![]() マウイ島からの仲間達は船でラナイ島に入る予定。 空港にお迎えに来てくれた日系のおじちゃんは、日本から来た私達の事が本当に嬉しかったようで、片言の日本語でとても明るくいっぱい話してくれました。 島のほとんどがパイナップル畑だったこと、たくさんの日系の人が島にはたくさんいてる事。 ![]() 初めて見る景色 ![]() 私の感じるそれぞれの島の空気がある・・・ ハワイ島は、荒々しい中にとてつもなく大きな懐を持っているような島 マウイ島は、山も人もとても丸く、穏やかで優しいさを秘めているような島 カウアイ島は、緑豊かで、全てのものに神様がいてるような島 そして、ラナイ島は。。。これから探して行こう ![]() ![]() つづく・・・ Mahalo Ia Hawaii 2007/2/3 |
川の流れのように Lana'i島 No.2
ラナイ島でのホオラウレアとなる会場に到着。 大きな公園にステージが設置され音響設備やイスが準備されていて、どうやら屋外で今夜は演奏するようです ![]() ![]() 実は、スケジュールなどの予定は一切聞いていないので、なるようにしかならないのだぁ~ ![]() 時の流れに任せるのみ!! ![]() 辺りを見回してみると、お店らしき建物もなく大きな木が何本も空まで高く伸びていて、風が吹くと葉の揺れる音が聞こえてきました。 ![]() ![]() 公園内の建物に案内されました。 そこには、日系のおばあちゃん達が待っていてくれたのだ ![]() ![]() ![]() ![]() お弁当を渡してくれて、「まずは食べなさい」 そう、何をするにもとにかく食べることがこのハワイでは一番大事なのだ ![]() 4~5人のおばあちゃん達と、一緒に座ってお話をしながらお弁当を食べた。 みんな、日本語がハッキリ話せるおばあちゃん達だ。 とても、不思議な感覚を覚えた。 日本語とハワイ語と英語が混じって、それが違和感なく一つの言葉の音として、ある意味メロディーのように流れるように耳に入ってきた。 初めて会うというのに懐かしさを感じた。 そして、話が戦争の時の話題になった。 おばあちゃんが話してくれる言葉一つ一つがとても、重たく響いた。 「とても恐ろしかったよ~。。。」 「怖かったよ~。。。」 話を聞きながら、この島の人たちは戦争を、そして戦後をどんなふうに生き抜いてきたんだろう?と思った。 このおばあちゃん達、とてもとても元気なこと ![]() 年齢当てクイズではみごとにハズレてしまった。 そのくらい、足腰もしっかりしているし、容姿も若々しい、 そしてユーモアも交えた会話をテンポよくしてくれるから、あっという間に時間が過ぎていった。 時代と共に生きてきた姿 文化の合流 歴史の流れを肌で感じた瞬間であり、私達の知らない時代が確かに存在したという事に触れ、 何かが心に引っかかった。。。 つづく・・・ Mahalo ia Hawaii 2007/2/3 |
川の流れのように Lana'i島 No.3
おばあちゃん達と楽しい時間を過ごし、マウイ島からの仲間と合流し宿となるお宅へと向かいました。 到着した家は、とてもりっぱな大きな家 ![]() ![]() 約10人で泊まるのだからすごい・・・ それぞれが部屋を決め、 落ち着いた者が大きなラナイに並んでいたイスに座って 緑色のビンに入ったジュース ![]() ![]() ひんやりとした空気に鳥の鳴く声が響き、風がやさしく吹いてくる。。。 そして、誰からともなく歌い始めた。 みんな好きな歌を順番を決めるわけでもなく、誰かが歌い終わったら次の誰かが歌い始め、順々に歌が続いていった。 そこにはリチャード氏の姿がもちろんあった。 伝説といわれるリチャード氏とこうして一緒に過ごしている事、 これは本当に信じられないほど嬉しいことだ。 一つ屋根の下に、リチャード氏を囲んで仲間達が座っている。 まるで、オハナ(家族)のようだなぁ~。。。 いや!これは本当に家族だよ ![]() このころから雲行きがあやしくなりはじめた ![]() リチャード氏から、スケジュールなどを聞いて少し打ち合わせをした。 それから、各々準備したり、おやつを食べたり自由時間を過ごした。 岡田央と私は、その場に残りリチャード氏とお話をした。 リチャード氏は ![]() ![]() 「~神様からの授かり物~」 彼の瞳は本当に美しく透き通っていて、その話す言葉にもたくさんの感謝の心を感じた。 そして、 その姿は伝説と言われるにふさわしい風格があり、そこから放つものは威圧しない、透き通った美しさでした ![]() つづく・・・ Mahalo ia Hawaii 2007/2/5より |
川の流れのように Lana'i島 No.4
すっかり辺りは暗くなり、夜のステージへの支度も整い ![]() 昼間に見た公園は、雨が降っているにもかかわらずステージではバンドが演奏し、ハワイアンフードが売られていて、たくさんの人が集まりすっかりお祭り気分だぁ~ ![]() どうやら、リチャード氏とファルセット仲間達のステージは今夜の最後の出番という状況のようだ ![]() みんなも何を歌うか、雨のかからない所で練習し始めた。(っていうか、今ごろ・・・ ![]() リチャード氏がステージに向かった。 そして不思議な事に今まで降っていた雨 ![]() ![]() ハワイでは本当に不思議なことが起こる。 そして、ショーが始まった ![]() ![]() ![]() 雨も上がり、たくさんの人がステージの周りに集まり始めた。 よく見ると、お昼間にお話したおばあちゃん達が並んで座っていた。 おばあちゃん達を見つけたので、私はすぐに隣に行って一緒に座った。 会場を見渡すと日系の顔立ちをした人が多かったように感じた。 順々に仲間達がステージに呼ばれ、拍手で迎え入れられていく ![]() ![]() お祭りなので、みんなリラックスしながら歌を楽しんで歌っている ![]() 一人一人に対して、みんなが声援と拍手を送ってくれとても温かくそして心から楽しんでいるのが伝わってきた。 岡田央は、マウイ島のコンテスト優勝者として一番最後に歌うようだ ![]() ステージ裏では、実は何を歌うかまだ迷っていた。 決めていた歌が先に歌われてしまったり、 ラナイ島の歌を歌うべきなのか、 マウイ島の歌を歌うべきなのか・・・ 会場の雰囲気に合わせるべきなのか・・・ 悩んだ ![]() そして、リチャード氏から呼ばれ、ステージへと向かった。 つづく・・・ Mahalo Ia Hawaii 2007/2/6より |
川の流れのように Lanai島にて No.5
リチャード氏から紹介されステージに上った岡田央。 日本語で「こんばんわ~」と言うと大きな声で返事が返ってきた ![]() 嬉しかった ![]() 歌った曲は ラナイ島の人達に感謝を込めて「Aina O Lanai 」 と リチャード氏に敬意と感謝を込めて「He Nani Helena」を歌い、私はフラを踊った。 踊り終わりステージ横で、仲間の一人に『ありがとう、俺達の為に踊ってくれて』と声をかけられた。 この一言が私のフラに対する考え方、見方を大きく変えることとなった。 そして最後に歌った曲は「川の流れのように」 ラナイ島で出会った日系のおじいちゃんやおばあちゃんが 私達にたくさんお話してくれたこと 温かい気持ちが言葉ではなく心から伝わってきたこと 本当に心から受け入れてくれていると肌で感じたこと。。。 ハワイへ労働力として渡った日本人移民 そして過酷な労働と安い賃金という条件で働きながらも、ハワイで生き抜いた日本人。 そして家庭を築き、戦争という時代を乗り越え、日系二世、三世とハワイの文化に融合して今を生きている。 とてつもない長い時間と歴史があったからこそ、こうして今、日本とハワイを行き来することができる。 日本から来た岡田央にできる事は何だろう? 日系の方々にできる事は何だろう? この地に眠る先祖の方々に伝えれることは何だろう? この地に生きた日本人の先祖の方々を誇りに思い おじいちゃん、おばあちゃんに感謝とお礼をしたい そして喜んでもらいたい 最後は声が詰まりながらも心を込めて日本語で歌わせていただいた。 ライヴで岡田央は、時々 「川の流れのように」 を歌うことがある。 ラナイ島の空の下にいてるあのおじいちゃんやおばあちゃんを心に想い、歌わせてもらっている ![]() たった一泊の滞在だったけど、とても大切な事を教えていただき、色々考えさせられる滞在だった。 ラナイ島 ![]() Mahalo Ia Hawaii 2007/2/7より |
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